闇の南朝のルーツは、鎌倉時代の皇統分裂に原因があった。
熊沢家、三河・美作・津軽の南朝伝説などを、膨大な系譜から分析。
熊沢天皇・三浦天皇・明治天皇は南朝の末裔だったのか!?
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【目次より】
第一章
消された皇統
―皇統分裂史
'順徳、土御門統の分裂から東武皇帝までの系譜
第二章
熊沢一族と熊沢天皇
―熊沢天皇伝説
'熊沢蕃山や熊沢天皇は南朝の末裔か?
'第三の熊沢系図が語る南朝熊沢家の謎!
'熊沢現覚(熊沢家祖)と西陣南帝は別人!?
第三章
参考諸家系譜
'安徳天皇は死なず(伝説の長浜天皇)
'楠正成(楠木正成)は、敏達天皇の末裔か?
'大本教の出口王仁三郎は皇胤か?
'安徳天皇の怨念が皇統を分裂させたのか?
【本文より】
……中央から疎外され地方で命脈を保った皇統はやがて伝説の霧の中へ消えて行き、中央の記録からも消され、皇統を守護する権威からは黙殺されることとなる。声高にその存在を主張すれば、ニセ者の烙印を押される(自称皇胤にはニセ者も存在するので同一視される)。
伝説の中の真実にどこまで迫れるか、伝説が全て虚の産物とは考えられない。そこには何らかの事実の反映があるのではないのだろうか?……
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